武漢ウイルスに対峙する政治リーダー達の資質における彼我の相異に驚きと懸念:結局は国民自体の性格と社会性の相異か

経済財務官僚上がりの担当大臣が「対処」する高度に官僚的な防疫・医療・経済施策の貧困性を強く感じ、危惧します。如何にも御身・御家大事をこととする“優等官僚”らしい、目先細やかで緻密な様子見的でかつ’用心深く’逐次的な対処(念頭にあるのは対安倍総理・出身官庁筋→自民党→選挙区→・・・・→自国民:これが最後)により、人命・経済・社会とその将来に「ドカ貧を招く」愚を犯しかねないと危惧しています。当然、彼らを担当大臣に任命した安倍総理の責任は極めて大きいと言えます。

 

彼(日)我(独)の政治家達の質的相異に驚くしかありません。ここで言う「質」は国民・国家への責任感、それを具体的に裏付ける学識と見識、一個の人間としての意志、予見力・・を統合した政治力です。

 

日本国内では左・右とも相変わらずで、問題事象に対する基礎・専門知識に対して無知・無恥な言説が罷り通っているようで、それすら変転を重ねているようです。従来の言動に関わらず、「まさにこの現況」に対して、無知・無恥・無能で実効性に乏しい無策な政治屋、無恥・無責任なヨタ言説を垂れ流すマス”ゴミ”、似非学者(国際指標から見て“実績ゼロ”の自称社会学者・政治学者・経済学者・・・・(注1))、それらに唱和する芸能スポーツ屋・コメンテーター等々をこそ、「背徳=反日の輩」と呼ぶべきでしょう。

 

こうしたことに対する国民一般の性癖や社会性にも大きな相異があることも感じています。日本は情緒性と雰囲気支配、こちらは客観性と具体性支配。後者の性格についてヒトラーは嘗て「プロパガンダに乗せにくいドイツ人の“欠点”」と表現していました(Mein Kampf))。このような両国の相異の例を手っ取り早く見たければ、Yahooの冒頭頁を比較して見て下さい:

(独)https://de.yahoo.com/?guccounter=1

新型コロナに関するコッホ研(国立感染病研)の発信情報、国・各州政府の施策・対応、政治・経済・社会・文化における諸相・・にすぐアクセスできます。日本の方は相変わらずです。

  

(注1)例えば「学術博」を標榜し(某K大が出したらしい)、盛んに「集団免疫」策を主張し、垂れ流す輩には驚くほかありません。自演書きらしいWikiには「経済学者」となっていますが、「経済」は学卒だけ(注2)で、同分野の学術論文は皆無、学術ナンチャラ関係の論文もゼロだったりします(こんなの理系ではもちろんのこと、欧州では文系でもあり得ませんよう!)。

 

(注2)先輩・同級等の線から、文2→経済学卒のある種の連中の性癖は承知しています。加藤厚労大臣はいわゆる猛勉真面目派、上記学術博の自称「経済学者」は中途覚醒の虚勢派、新宿キャバレー通い議員の高井某はその場対応優等型で無節操かつ表裏解離型(ついに本性のボロが出た)。いずれも「日本的現実対処」は素早いですが、文系(注3)なのに学識・哲学が共通して欠落状態。かつてのマル経学科から現実対処系に変貌した学科が生み出した人材達です。

 

(注3)経済系に限らず、TV等に頻出している日本の「”自称”文系学者」さん達を彼ら彼女等の好む”グローバル’な視点で見るとどうなるでしょう。以下は9年以上前に記した記事ですが、今もその通りとなっているようです。

文系学者考 - benrathseit1990の日記