笹井氏の無念

笹井氏の最後は研究者としても一個の人間としても無念の一語に尽きるものでしょう。研究世界に生きる者にとって非常なショックです。その無念さを推し量ると涙を禁じ得ません。
 
その原因の一つは、高度に「身内そのもの」の早大調査委員会ですら、「データ管理のずさんさ、注意力の不足、論文作成に対する真剣味の欠如などがあった」と断じざるを得ないD論を書いてしまう人物を採用し、その人物の「為すこととデータ」を信じ、重用してしまったことにあります。前文の「 」内の語句のどの一つであっても、自分に投げかけられたら、(事実誤認なら)猛然と反論するか、(事実なら)この世界から自ら退くほどのものです。至らなかったとか、反省しますとか、深くおわびする・・とか云うレベルの話ではありません。
 
この世界は、「性善説」で成り立ってきた経緯があり、然るべき論文を発表している研究者にとっては、データの捏造やでっち上げは考えられません。というか、データ捏造すれば必定、早晩バレて研究者として即お終いなので、利害の面からも、そういう愚かなことは絶対にしません。その経歴と実績からして、笹井氏もそれを当然として来たはずです。その人物の目を狂わせ、結果として不正・捏造問題の当事者にまで追い込んだ事象や人物は「凄まじい」としか言いようがありません。
 
原因の二つ目は、STAP問題(論文不正、データの捏造・真偽疑惑)についての理研の措置があまりにも優柔不断かつ緩慢に過ぎ、笹井氏をどうしようもない生殺し状態に、長期間追い込んでいたことでしょう。「2報目は取り下げたから同論文に関する不正の有無は調査しない」とか、「検証実験とともに、論文不正に関わる処分の検討を停止」とか、「理研改革委員会の提言を事実上の棚上げ状態」にしたりしていました。いわば、自ら命を絶つところまで同氏が追い込まれてしまう状況と期間を生み出してしまった、ということです。理研上層部や上部機関等の自己保身が絡んでいたためだったのでしょうか。理研改革委の提言を受け、笹井氏および担当理事らの処分をもっと早くするべきであったと考えます。