「芸能スポーツ立国か?」再論

離日する日が近づきました。残された時間で今次帰国の感想を記します。
  
 尖閣漁船事件以降の諸事象を見ていると、(1)昨今の我が国では支那生態学でいうところの制限要因(生態学用語:それなしでは存続できない)と見なすのが一般的風潮となっていること(注);(2)それを当の支那が存分に見透かしており、(3)政治・軍事・経済で強面にとことん利用してきていること、(4)このことに対して多くの日本人が無知・無思考・無関心・無責任(!)なこと嫌が応にも気付かされます。

 同国に対しては、「戦前の償い」で始まり、それを「途上国援助」と「東亜善隣外交」に切り替えて資金・人・科学技術ノウハウ支援を行った揚げ句、並ばれ・追い越されると見るやなんと「戦略的互恵」などと言葉を飾るのです。その一方では「中国による植民地化は今に始まったことではない」と政治主導を標榜する内閣枢要の人物が口走り、私(企業)感覚とらわれた商社員が国益を担うべき大使となって中国の利益代表者の一翼を担うというのですから、先進国と言われる独立国の現実とも思えません。タケシのなにやら番組の調子で言うと、必定、「このまま放っておくと大変なことになりますよ!」でしょう。 

 先進国で一般認識されることが、何故我が国では共有されないのでしょうか、私は不思議でなりませんし、この国の弱さではないかと訝しんでいます。嘗て、満州事変勃発の前後も、人々は政治に倦み、水の江龍子ショーに熱中し、それを見るために日劇に並び囲むこと十重二十重に及んだそうです。延々と続く「芸能スポーツ狂い」への傾倒の伝統にはほとほと恐れ入ります。この政治経済状況のもとで、それらの詳報や背景説明をせずに、明けても暮れても、たかが薬中前科タレントの逃避行、パンダ(宣撫工作兵器)、新たな客観的事実に乏しいひたすら詠嘆悲嘆調の地震報道、国技を気取る和式プロレス関連の賭博やら八百長、酒乱河原乞食の乱行裁判等々・・・・つける薬がない、とすら思います。
 
(注)明らかに、特定方向に向けたマスメディアのリードとその受け手の認識不足に起因するものでしょう。