原子力を廻る「管式ない交ぜ論」のいかがわしさ

原子力の兵器利用」と「原子力の平和利用」とをめぐる管式ないまぜ論は、「被爆国であることまでも己のために政治利用する」といった、いかにも彼らしい身勝手さといかがわしさに満ちています。その程度の悪さは、「石油の兵器利用」と恐らく誰も疑問に思っていない「石油の平和利用」とを例に上げて、管式口舌を述べてみれば明らかになります。

火炎放射器やナパーム弾(両者ともナフサや重油から作られる石油製品)は使用対象のすべてを焼き尽くし生き残った人々に耐え難い苦しみと後遺症を残します。震災等の災害時の火災源としても深刻な被害をもたらします。したがって、私たちは石油の使用について、今一度原点に立ち返って考え直さなくてはいけない。脱石油 は、火炎放射器やナパーム弾で同胞が悲惨な戦禍を受けた南方戦線~硫黄島沖縄戦~本土空襲や石油基地の猛烈な災害炎上の被害を経験した日本の役目です」・・・とね。

スケールが異なっていても背景や論理構造はまったく同じです。将来に諸問題(環境悪化を起こす排出物の蓄積(石油ではCO2)、枯渇(石油ではエネルギー源と同時に化学工業原料の枯渇等々)を抱えている点でも相似形です。でも、上記の口舌に基づいて、「具体的な展望・戦略・施策もなく、矢庭に脱石油を鼓吹する首相・政権」などというの真っ当な国・政府ではあり得ないでしょう。
  
この帰省中(そろそろ終わりですが)、管・民主政権が垂れ流す災禍の酷さに、今更ながらに驚く毎日でした。しかし直近の世論調査では、管支持率が1420%もあるとのことで、これまた、開いた口がふさがりませんでした。いやはや!