Κασσ??νδρα(カッサンドラー)の予言?-II 解説

予測に対する友人の意見
先日、「さすがの自己愛力でも如何とも成し難く、早晩、(管内閣は)あっさり倒れるとの予測です」と書いたら、友人達から「管首相は例によって“シッカリ云々”を連発していて、責任をとるとか、辞めるとかという気配は全然ないぜ。あれほど厚顔無恥KYな人物が自発的に辞めるとは思えない」とのメールが来ました。でも私の予測はかなりの確度で当たるだろうと思っています。以下に説明しましょう。このような性格の文を長く書く経験がないのですが、趣旨を受け取っていただけるように務めます。
 
2.報道に見られる管氏の人格的特徴
彼の特徴は、①強固な自己愛と執着心、②無知・無恥・無理念・無能、③その実態に釣り合わない程の強い自己肯定(要するに“強がり根性”ですね)、④勝ち負けに対する特有の見切りと「逃げ管」と称される逃げ足の早さ、とされています。原発・震災への対応で②を、次々と繰り出す延命策(会議の乱発・馬鹿足す馬鹿に代表されるパフォーマンス人事・仙谷氏の呼び戻しと直後の同氏外し・谷垣氏への突然の入閣要請等々)で①を、「自分は原発にすごく強い」等々の発言や現地視察で③を、それぞれ赤裸々に示してきました。①~③の攻撃的性格の一方で、④逃げ足が早い「逃げ管」とは一見、相反するようですが、以下のように密接な関係(表裏の関係)にあると考えられます。
 
3.人格的特徴と報じられる行動との関係
①~③に関連して攻撃的に怒鳴り散らしたり、一転して引きこもったりしているのは、彼が日本国総理として本来なすべき施策に必死だからではなく、「我が政治生命のための諸闘争(K?mpfe f?r mein politisches Leben)」を「伸るか反るか」でマジにやっているからと考えられます。また、強い自己愛の別の側面として身を損なうような可能性に対するプレッシャーに弱く(∵人格的に「我が身を捨てて」事に当たることができない)、相当なパニクリ状態であることを示しています。このような人物の類型は心理学分野でいくつも報告されていますし、第二次大戦の実録戦記にこの手の指揮官が数多く描出されています。実は私自身も、かなり以前に、“一つ置き斜め上のポジション”にいたこの手の人物を数年以上にわたってイヤと言うほど観察した経験があるのです(管総理についての報道内容とぞっとするほどにそっくりです)。
 
4.必然的帰結としての「逃げ管」
このような人物の③自己肯定や強がりは、実は、自らの無能さをそれなりに自覚している(本当に!)ことの裏返しです。あれこれやった挙げ句に「八方塞がりでどうにもならない、こりゃ駄目だ」と自覚せざるを得なくなった場合、どういう行動に出ると思います? 周囲が唖然とするような早さで④の見切りをつけ、状況が許す限りの自己保存措置をとりながら、さっさと逃げに奔るのです。報じられる人物像や事実経緯からみて、管氏も間違いなくそうなるだろう、と判断されるのです。彼の場合は、日本国総理として為すべき震災・原発事故対処・施策やほかの内政・外交上の懸案事項から「ハイこれ迄よ」と逃げる、という次第です。
 
5.「逃げ管」の際に注視すべきこと
あの手の人物の常として、彼の場合も、逃げる際には「状況が許す限りの自己保存措置」をとるはずです。辞める時点で爾後の政治生命を一旦絶つような「その気もない鳩山式宣言」なんぞは真っ平でしょうから、必ず、何らかの政治生命維持に向けた「小狡い算段」を講じて逃げるはずです。その算段が何であるか、どうせ自己中心で国に禍根を残すに等しいことのはずなので、我々日本人はよく見定めるべきだと思っています。